ジローの部屋

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日頃の生活に、何かプラスになることを。

50円の、義援金

いらっしゃいませ。ご訪問ありがとうございます。

こんにちは、ジローです。

昨日は、100記事達成について本当にたくさんのお祝いを頂戴いたしました。
surrealsight.hatenablog.com

本当にありがとうございました。

このジローの部屋は、飾り気のないつらつらとした文章が続くブログでございます。

しかし、まもなく開始から4カ月というところで、皆さんのおかげでこうして100まで歩を進め、今日からまた101歩目を踏み出すことができています。

本当にありがとうございます。

明日に迫った1.17.
これは兵庫県民には、なかなか大切な日となっています。

さて、今回はそんな地震にまつわる義援金、の話。

では、どうぞ。




阪神淡路大震災が起きた当時、筆者は中学2年だった。

たまたま断層より西の地域に当時は住んでいたため、揺れは激しかったが地域の損害はほとんどなかった。


ニュースで火事や高速道路の倒壊が流れ、電車は不通になる。

空の広い、ブルーシートが広がった世界が断層一帯の町に広がった。


中学校では、担任がホームルームで、義援金について説明をしだした。

いくらでもいい。
困っている人に、いくらかのお金を分けてあげてほしい。

初めて聞く義援金ってやつに、筆者は募金との違いを見出そうとしたが、よくわからなかった。

募金であれば、基本的に硬貨をするイメージだ。


ただ、募金とは違うらしい。


筆者は家に帰り、義援金について親に話すが、親は先行きの不透明さをつぶやき、お金はくれなかった。


翌日、学校に行ってみると、何人かが義援金を持ってきていた。

封筒にお札が入って、親にこれを持って行けと言われた、とか話していた。

ただ、持ってきているのは全員ではなかった。
関西での大震災は初めての経験で、皆先行きが不透明だし、今のような情報がたくさんある時代でもない。
だから、持ってきていないからって言って責められることはない。



授業が終わり、終わりのホームルームが始まった。

担任は20代後半の家庭科の女性教師だった。

彼女はいつもにこやかで、人気のある教師だった。



彼女は、義援金を学校がまとめて集めてしかるべきところに持って行ってくるという話をした。

そして、義援金を持ってきた人は前に持ってきて、と話す。


ギギーッと椅子の引く音が重なり、クラスの3分の1くらいの生徒が立ち上がった。

皆、封筒を手にしている。

担任は、一人一人に、ありがとう、と言って回収していた。




筆者は座ったままだった。
座ったままでいることに、なんというか違和感があって、自分の持っている財布を見てみた。




50円玉が1枚だけあった。




そして、担任に

先生、50円しかないんだけど義援金に足してもらえますか

と立ち上がって聞いてみた。





クラスの全員がこっちを向いて、何人かは

たった50円かよ

と言ってくすくす笑っている。




筆者はその辺のことを全く考えずに口走ってしまったため、笑われてから

しまった

とめちゃくちゃ後悔した。





立ってしまったことが恥ずかしく

やっぱりいいです

と言って引き下がろうとしたとき、担任は

誰や、笑ったやつは

と本気で怒りだした。






こういうのはな、金額じゃなくてやろうとする気持ちが大切なんや
そういうのを笑うやつは絶対に許さんよ



教室が静まり返る。

担任は筆者に義援金を持ってくるように促した。

筆者は財布から取り出した、裸の50円玉を手渡した。

彼女は他の人と同じように、ありがとう、と言って受け取った。




困っている人の助けになることをする。

金額は少なかったが、担任は否定せず、笑っている生徒を糺した。

筆者には、ずっとこれが残っている。


困っている人の助けになることをする。
自分にできることをする。

その気持ちが大切なんだ、と。


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