いらっしゃいませ。ご訪問ありがとうございます。
こんにちは、ジローです。
いつもたくさんの星、ブクマやコメント、本当にありがとうございます!
おかげさまで、筆者はぼちぼちとこのブログを続けられています。
前回の記事でもたくさんのコメントやスターをありがとうございました。
前回の記事は、「継続」が一つのテーマで、飽きっぽかった筆者がなんとかブログや筋トレを続けることができているという話でした。
そして、たくさんのコメントやブクマをいただいて、この継続にはまわりからの刺激を受けて、自分自身が楽しめることが出来るかという部分が影響しているように、感じています。
surrealsight.hatenablog.com
今回は、この「楽しむ」部分を切り取ってやや掘り下げた私見、についての話。
では、どうぞ。
「楽しむ」という要素があるかどうか。
自分自身が日々の生活の中で何がしかの刺激を受けて楽しめているかどうか。
ここが筆者のこれまでの生活で、足りていなかった部分だと、最近感じている。
職場の同僚で、自転車やランで山を登ったり、走ったりするのが好きな人がいる。
歳は筆者よりも少し上。
この人は、仕事はある程度のところで割り切っていて、休みの日の時間の使い方について色々と考えている。
ただ、かといって休みの時間を全て自分の時間に当てているというわけではなく、料理もするし家族サービスもしている。
夕食後は、奥さんと話をしながら少量のお酒で晩酌をしている。
まさに理想的な、ワークライフバランス。
その人は、コロナがなければ、元山岳部の出身ということから、夏休みには長野の方の山を登りに行くそうだが、あいにくここ2年ぐらいは出来ていないらしい。
その人はいつも
この前の休みはここに走りに行って
とか
昨日子供とサッカーの練習をして
とか、嬉しそうに昼休みに教えてくれる。
そういう状況を見ていると、家でも家族に「楽しむこと」を教えているというか、本人の「楽しむ雰囲気」が伝わっているというか、そんな様子が言葉の端々から感じられる。
その人の娘さんは、進学塾に通っているわけでもないなか、学年トップのようでその人は
「勉強しろと言ったことがない」
ということを言っていて驚いた。
きっと奥さんがその人の説明しないところで、色々と配慮しているのかもしれない。
しかし、それを仮に差し引いたとしてもその同僚の「楽しむ要素」がなければ、こうはいってないんじゃないかと、思ってしまう。
楽しむ要素だけで成績が上がることは一般化はできないが、勉強に対してもいいイメージを与えているであろうことは、予想がつく。
「楽しむ」という要素の、言わば副産物としての一例。
いやいや、そんな余裕がない状況。
仕事でも家庭でも、圧倒的な圧力を受けていたり、もしくは一人で色々としなければならない状況がある場合も、当然人によってはあるだろう。
となればどうするか。
筆者もそこまで酷い状況ではなかったものの、何か現状を変えようと思って始めたのがこのブログであった。
記事を書いていく作業は面白い。
そう思うだけで、同じ物事の見方が、随分と変わってくるところもあった。
変えようとする状況を楽しいかどうかと評価するのは、他人ではなく自分自身。
だからその状況が、楽しいかそうじゃないかと決めるのは他人ではない。
やり出してそういう「気づき」があった。
話を元に戻す。
状況がきつい時にどうするか。
新しい変化を起こそうとして、その経過、過程を楽しんでみる。
その尺度に他人の評価は関係ない。
微々たる抵抗でも、問題ない。
そう考えてみると、なんとなくこれだけで、変わってくるんじゃないかという気がしてならない、というのが筆者の私見。
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