ジローの部屋

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日頃の生活に、何かプラスになることを。

いいときや悪いときの、納め方

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こんにちは、ジローです。
いつもたくさんの星、ブクマやコメント、本当にありがとうございます!
おかげさまで、筆者はぼちぼちとこのブログを続けられています。


昨日書いた若手の話。
surrealsight.hatenablog.com

今回は、転職に関して思い出した先生、の話。

では、どうぞ。









高校時代、漠然と何をしようかということを考えていて、筆者は自宅の経済事情を考え、大学に行くとしたら国立しかないなという状況だった。


筆者には一つ違いの弟がおり、そして三つ違いの障害者の妹がいる。

だから、私立に行ってお金がかかるということは避けなければならなかったし、かといって高卒ですぐに働きたいという思いも、明確に持ち合わせてはいなかった。
奨学金の話は、割と調べていて、これを申請できたらなんとか学生生活を送れるんじゃないかという見通しを立てていた。


筆者のレベルで行きたいところというか、行けそうなところは限られていて、地元の神戸大学は絶対に無理だし、理系でもなかったので、どうしようかというところだった。


漠然と教員に対する憧れはあり、友人に勉強を教えたりしているような時に、その教え方を褒められたりして、少し調子に乗ってその気になっているような感じだった。


当時社会に出て、社会にはどんな仕事があって、こんな面白いところがあるって言うことは、残念ながら全然知らなかった。

いくつかの分かりやすい職業が目の前にある中で、自分が勉強して届きそうなところに教員があり、部活を引退した高校3年の5月からなんとか勉強して行けば間に合いそうな見とおしだった。


教員を意識してから、高校の授業を受けて行くと、様々な教科を教えてくれる先生方の様子を見て、どういう人の話が耳に届くかというところを考えながら話を聞いていた。


以前の記事に書いたことがある現代文の先生。
surrealsight.hatenablog.com
当時のサッカー部の顧問だった社会科の先生。
surrealsight.hatenablog.com

この人たちよりも、筆者に響いた先生は世界史の先生だった。



この人はどこまで本当かわからないが、中国地方の田舎から兵庫に出てきて、留年しながら大学を卒業し、そこから転職を繰り返して、いっときは専業主夫にもなり、最終的に高校の地歴の教員になった人だった。


この人の話は、授業もなかなか話しぶりが面白いのだが、脱線した時の様々な職業の話がとても興味深かった。

仕事に対して、熱を入れて取り組むというわけではなく、どこか斜に構えて力を抜いている感じ。
でも、その人なりに高校生という感受性の豊かな世代に対して、何かメッセージのようなものは持っているように感じられた。


周りの友人は大学や専門学校に進んで、この仕事に就きたいという明確な目標を持っているひとが多い。

そんな友人達も、この先生の話はなかなか面白いらしく、この先生の世界史の授業で寝ている人はいなかった。



高校卒業する前に、全員に卒業アルバムが配られる。
生徒たちは、こぞって自分達の友人、お世話になった先生、憧れの人、仲の良かった後輩などに自分へのメッセージを書いて欲しいと依頼する。


筆者もその流れにもれることなく、友人達と交換をしてメッセージを書きあった。



筆者は、担任ではなかったがその世界史の先生の所に行き、何か一言書いて欲しいと依頼した。

その先生は少し照れながら、

「わしのように社会の半端者には、メッセージをもらう方がいいんじゃないのか」

ということを言いながら、筆ペンを取って

人間万事塞翁が馬

と、クセのある字で記した。





いい時もあれば悪い時もある。それに一喜一憂することなく、目指すところの目標を持つように。


なぜか、今でもあの筆ペンの文字は思い出す。
それは、何回もそこを見直したからかもしれない。



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