ジローの部屋

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日頃の生活に、何かプラスになることを。

強い意思の、作り方

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さて、今回は、意思の強さ、の話。

では、どうぞ。




筆者は、昨年惰性に流れている現状を変えようと

ブログ
筋トレ

を続けようとしてみた。


これまで何度も運動を続けようと思って、ランニングを始めたり、家トレをやってみたが何度も挫折した。

その度に、意思の弱さに嫌気がさして、自己嫌悪に陥っていく。


40代に突入し、身体もどんどん丸くなってきてこれはあかんと思い、また筋トレを始めようとしたが、これまでの失敗の経験から、盛りすぎず1種目にまずは絞って公園で懸垂を始めてみた。


仕事の帰りにちょっと寄ってジャケットを脱いで鉄棒に向かう。

時々こんな感じで先客がいるが、そのときは仕方がない。
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最初は全然上がらなかったけど、3ヶ月続けると10回上がるようになった。

こうしてみると、本当に日々になんというか目標がなかったな、と思う。

それと、飽きっぽくてもなんとか続けられたことが少し前を向く自信に繋がった。



毎回やるときは前回よりも1回増やそうとしてみる。

もちろん無理な時もあるので、そのときは前回と同じだけは出来るようにしてみる。

たったこれだけだけど、それが少しの進歩になった。



この歳になっても、何かを始めることに遅いということはない。

変わろうとすることも、少しずつの変化を続けることで、それが意思に繋がっていく。

最初から強い意思はなかなか作れない。
でも、小さなステップを重ねていくと、いつの間にかできていたりするんだな。


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3本足が、教えてくれたもの

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さて、今回は、3本足が、教えてくれたもの、の話。

では、どうぞ。

 

 

 

右足を複雑骨折してしばらく松葉杖ついてた頃、二本足での歩き方を忘れてしまってた。

 

杖を入れて3本足。

曲がらない足が二本。

 

ずいぶんと窮屈だが、なれれば車の運転も出来るのだから、慣れというものはすごいものだ。

 

3本足になると、2本足だった頃普通に出来ていたことが出来なくなる。

 

例えば、エスカレーター。

あの速度がかなり速い。

勇気とバランスが必要で、そこからエレベーターまで回ろうとすると、かなり位置が離れていたりして、気持ちが萎えそうになる。

 

歩くと腕もかなり疲れて、座りたくなるが、座ると今度は立ち上がるのがかなりきつい。

 

久しぶりに2本足に戻ったとき、それが当たり前のはずなのに、めちゃくちゃ嬉しかった。

 

当たり前にあるそれに、無くなって初めて気が付く。

 

 

 

兵庫も緊急事態宣言か再発令で、戻りかけていた日常がまた非日常になる。

 

どれだけ科学や医学が進もうと、未知なる病は現れる。

 

でもね、まずは個人の基礎体力。

当たり前にあるものだけど、それを自分なりに最大化すること。

結局これが対抗していく唯一のもの。

 

当たり前のものを意識して、自分からなくしてしまわないように、しっかりやっていこう。

 

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【電車のひと短編⑧】乗り過ごして受け取った、にこやかな笑顔

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さて、今回は、乗り過ごしてしまったとある駅、での話。

では、どうぞ。





仕事で電車移動をしていた際、普段乗らない路線だったので考え事をしていたら、うっかり乗り過ごしてしまった。



特急が停まったその駅は、当時改修工事中だった。

どうやらバリアフリー化を進めるエレベーターの工事をしているようだ。


地上へ続く階段は長々と続き、途中二カ所の踊り場が設けてある。

そのため、ゆっくりと上がっている人は休憩しもって上がってきていた。


おそらく交通渋滞解消のために、高架になった駅は地上からかなり高い位置にあった。



同じホームの反対側は同じ方面に向かう電車が到着する。

そのため反対向きの電車に乗るには、向かいの反対ホームに行かねばならなかった。



長々と続く階段を降りて反対ホームの階段の方へ回って、ふと前を見上げる。


地上の明かりは、小さな四角になっていた。


筆者は視線を落とし階段を上ろうとしたとき、すぐそばでキャリーバックの取っ手を収め、上を見てため息をついた高齢の女性がいた。





筆者は学生時代、骨折をして松葉杖生活を余儀なくされた時期があった。

その松葉杖をついていたとき、荷物を持って階段のところまで来たときに、この高齢女性と同じように上を見上げて、ため息をついたことがあった。


そのとき、荷物を持っていた手が、ふっと軽くなる。

びっくりして荷物をみると知らない人の手に収まっていた。

そして、その人はにこやかな笑顔で筆者のやや後方を、ゆっくりと上っていく。

上に到着してお礼を言うと、彼は当たり前のように振る舞い足早に去っていった。





筆者はキャリーバックを持ち上げる。

彼女は驚いた表情をしていたが

行きましょうか

と声をかけるとにこやかな笑顔になった。


彼女は

ありがたいね

と言いながらホームへゆっくり上がっていく。

いえいえ

と言いながら、筆者は彼女の斜め後方をゆっくりと上っていく。

彼女は

ここの駅は何でこんなに階段長いんだろうね

と世間話をしながら、そして踊り場で少し休憩しながら、でも少し嬉しそうに上っていく。


そうして、小さな四角が少しずつ大きくなって、眼前は反対側のホームが広がった。



ホームには発車前の特急が停まっていた。

車掌の発車前のアナウンスが流れる。


彼女は慌ただしくキャリーバックを受け取って乗り込む。



プシューっとエアーが抜けてドアが閉まった。

電車がゆっくりと動き出す。



彼女はなんとか体勢をこちらに向き直し、会釈していた。

やはり、にこやかな笑顔だった。


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子どもは、風の子

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さて、今回は、冬だけ親が変わる、話。

では、どうぞ。

 

 

 

 

30年以上前に聞いていた、

 

子どもは風の子、元気な子

 

この言葉はなぜか、冬にしか聞かなかった。

 

この言葉がはびこっていた頃、今では保護者からのクレームが来るであろう決まりが、当時筆者の通っていた小学校にはあった。

 

 

小学生は半ズボン登校

 

 

ハーフパンツなんてものはなく、子どもは短パンしか選択肢はなかった。

 

今の寒波のように、こんなに寒くても、かぜでも引かない限り、長ズボンははけない。

 

 

長ズボンをはいていくときは、連絡帳に、

 

「風邪気味なので長ズボンをはかせていきます」

 

と保護者の一筆が必要だった。

 

当然、当の本人たちは寒さに耐えるために、

 

 手で乾布摩擦する

 その場で走る

 モジモジする

 

ぐらいしかなくて、当時さぶいぼと読んでいた鳥肌状態をなんとか解消しようとしていた。

 

 

体育も体操服は短パンだった。

 

 

筆者達は、子どもは風の子、という大人に

 

俺の親は風じゃない

 

と抵抗していたが、短パンでの活動は卒業するまで変わらなかったように思う。

 

 

 

そのおかげなのかどうかはわからないが、高校になったときに、冬が近づいても半袖で頑張る生徒が2人いた。

 

彼らは競い合うように

 

いやぁ、今日も暑いね

 

と言っていたが、まさにミスターサマータイムだ。

 

きっと、小学生のときに短パンで過ごして、極端に寒さに強くなったに違いない。

 

 

 

風の子は強くなると、寒さへの抵抗が異常に強くなる。

 

そして、冬以外の季節では、子どもは親の子なのである。

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判定が、伝えるもの

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さて、今回は、ABC判定、の話。

 

では、どうぞ。

 

 

 

かつて、A判定、B判定というものに悩まされていた時期があった。

 

 

高校時代。

ダメ元で書いた防衛大学はやはりE判定だった。


経済的事情とやりたいことを考えて決まった第一志望はCからBに、BからAにと上がっていき、推薦はC判定だったから落ちたものの、一般前期でなんとか合格した。

 

 

学生時代。

3回生になり、やはりB判定が続いていた。

一人周りと違う道に進もうとしていたため、たまに都会に出かけて試験を受けたりしていた。

 

チャラそうな出で立ちの者もいる中、勝手に負けたらあかんと思いながら、一人で図書館とかに行っていた。

 

社会人への試練は運良く一回目で門戸が開いた。

 

社会に出た。

社会人になると、A判定が続いていた。

 

楽勝だった。

 

しかし関門はだんだんと複雑になり、ゲップをしてはいけない変な液体を飲むことにもなる。

 

続いていたA判定は陰りが見え始め、C判定が見えたかと思うとE判定が出た。

 

E判定をなめてはいけない。

 

高をくくっていた根拠のない大丈夫は、もろくも崩れ去った。

 

肺のレントゲンに写った白い陰はホンモノで特定伝染病の烙印とともに、見える世界は白い壁と小さな窓になった。

 

年末に入院して退院すると、一冬が終わろうとしていた。

 

昨年、退院して翌年のこと。

入院翌年の健康診断の結果が返ってきた。

 

全てA判定だった。

 

今年ももうすぐ、そんな時期。

 

 

健康は当たり前じゃない。

大事なことを教えてくれた病気に今は感謝すらしている。

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腹痛銀行との、取引

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さて、今回は、筆者の妄想、の話。

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人はなかなか自分勝手な生き物だ。

緊張したとき、
大事な試験のとき、
難しい案件に取り組むとき、

こういうときにはよく腹痛がやってくる。

これは筆者の勝手なイメージだが、筆者の場合腹痛の調子は

和太鼓の音がどんどん大きくなって、テンポも上がってくる感じ
で迫ってくる。

ほんとこいつはやっかいで、一回フィーバーかかって、アンコールがかかることもある。



まだ高校生ぐらいのころ、今日は休みたいな、と思っても、残念ながらそういうときは、和太鼓が鳴らない。

力強く叩いていたやつはどこにいったんだ。


大人になって、ちょっと追い込まれていた頃、さすがに仕事で休みたいなと思うことはあっても、休むわけにはいかないのでズル休みはしなかった。


しかし、腹痛が欲しいこともある。


筆者は健康診断を受けた。

一定の年齢になると、白い液体を飲み、

右に回って下さい
はい、仰向けになって
はい、そこで息を吐く
はい、左手だけレバーもって

と機械の中で、やたらと転がる検査を受ける。

この液体は、検査終了後、体外に出さないと固まって、下手したら死ぬ。

一度職場の人が、この白い液体を飲んだ後に、その人は胃に穴が開いていたようで体内に漏れて、えらいことになり、亡くなった。


筆者はもともと出にくい体質なのである。

若いときは健康診断をなめていたが、この話を聞いてから、白い液体について恐怖を感じるようになった。

これ、他に方法はないんだろうか。



毎年、検査が終了後薬をもらうが、筆者は足りない。

検査の担当者に、丁寧に、しかし内心必死

もっとくれ

という意図を伝える。

担当者に温度は伝わりにくい。
機械的に二錠だけ追加される。



仕方がない。
始めるか。
筆者は最初の二錠を飲み、体内に水を流し込む。


そして、ここから雨乞いのように、腹痛を召喚する。

かつて、ズル休みしたいと邪な思いで、腹痛の和太鼓を召喚しようとしていたが、今は違う。

去年はとうとうその日のうちに和太鼓がならず、日が変わってようやく鳴り出した。


それだけに今年は、力を入れて雨乞いをする。


来ない、なかなか来ない


誰か腹痛の銀行作ってくれ


筆者:ちょっときつめの即効性あるやつを下ろしたいんだけど

行員:すみません、お客様。残高が不足してます

筆者:なにー、入痛してなかったかぁ。
この前けっこういいの来てたのに、預けときゃよかった





ちがう、こうじゃない!




筆者:ちょいとしっかり効くやつを頼むよ

行員:お客様、これはけっこう危ないので、ご利用後は駆け込んでくださいませ

筆者:気をつけるよ


これだよ、これ。
すぐに和太鼓が鳴り出すやつ。



筆者はトイレにこもって、妄想していた。
太鼓はまだ鳴らない。



仕方ない、もう二錠、薬飲もう。

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その瞬間人に、戻るんだ

本日は不快な内容が人によってはあるかも知れません。
予めお詫びします。



人身事故で、思うこと。




駅のホームでアナウンスが流れる。
駅員が電車の到着遅延をお詫びする。

それが飛び込みなら、飛び込んだ人が悪いんだけど。
駅員が到着遅延をお詫びする。

舌打ちやため息。
誰だって人が死ぬ姿なんか見たくないし、現場は凄惨だっていうけれど。

警察の友人がつぶやいていた。



確かに現場は目を背けたくなる。
だから人だとは思わないようにする。
でもな、仕事だから対処する。


そして家族に会わせてやらないといけない。
だから精一杯きれいにする。


家族は、見るも無惨な姿に絶句したり、気絶しそうになったりするよ。

でもな、その瞬間はどんな姿になろうともその身体は、人、に戻るんだ。

どんな亡くなり方であってもな、その瞬間は同じなんだ。

俺たちはそのための仕事をしている。





急いでるのに、そりゃ落胆するよな。
目的地に行く手段が途絶されたら、怒るよな。

誰が悪いのか、詮索しだしたらきりがない。
でもね、一生懸命現状回復に努めてくれてる人もいるんだよな。


駅員に詰め寄るなよ、彼らだって迷惑してるんだろう。
みんなそう、怒るなよ。

見ている者を釘付けにする、何か

あけましておめでとうございます!

元旦に片付けをしている最中に、長男が置物を倒し
バキッ
という音と共に5年共にした充電していたスマホがあの世にいきました。

おかげでさまで、数日間世間一般と通信が簡単にとれなくなり、スマホの便利さと生活へのなじみ具合を痛感しましたジローでございます。

本年もどうぞ皆さま、よろしくお願いします!


さて、今回はテレビ画面からの刺激、の話。

では、どうぞ。





筆者は中高はサッカーをしていたが、筋トレがしたくて大学でラグビーを始めた。



ラグビーは痛かった。
サッカーよりも全然痛かった。


試合前は声を張り上げ、皆、それぞれの試合モードに入る。
性格が変わってる人もいた。

ほんと、ヤバいところに来てしまった
これが初めての試合を見学したときの感想だった。



試合が終わっての寮の風呂。


試合に出た先輩の身体に
足跡
がついていた。

その先輩は、その足跡にシャワーをかけて
イテッ
と叫び、初めて気付いていた。

筆者は驚きを隠せなかった。



しかし、慣れというのは恐ろしいものだ。



筆者は、3回生のとき足首を複雑骨折するケガをした。
ケガした当初はやさぐれたが、最終戦に間に合わせてやる、と持ち直しリハビリに励んだ。

それと平行して、試合に出られない人と裏方に回って対戦相手のビデオをとりにいったり、分析したりした。

あと裏方に回って初めてマネージャーの奮闘ぶりが少しわかるようになった。


筆者の大学は4回生の冬に現役が終了する。
ケガから復帰した直後が世代交代だった


筆者はなぜかキャプテンになり、様々な考え方の人間を1つの目標に向けて行くことになった。


新入生のときビビっていた試合前の円陣では、スタメンもリザーブも登録外のメンバーもけが人もマネージャーも、全員で肩を組んで、筆者は全員を鼓舞する声を出していた。

モードというか完全にゾーンに入っていた。

試合中にタックルを受けて膝の皿にヒビが入っても走ってるくらいアドレナリンを出して。




年末年始、高校や大学
ラグビーのニュースが流れる。

どんな競技でもそうだが、そこにかける本気さ、ひたむきさ、というものは見ている者を釘付けにする何か、がある。


当時から、おおかた20年。
今は何か、本気になれているだろうか。


画面の中のプレーヤーを見て、ふと自分に問いかける。


スパイクを置き革靴を履き、ジャージはスーツに切り替わり、フィールドの環境はがらりと変わった。


周りのせいにしたり、できないいいわけを探そうとしたり、そんな弱気なときもある。
画面の中のプレーヤーは、ゾーンに入ることすらやめてしまっていることを気づかせる。


2021年。
筆者は40代に突入し、人生の後半が始まった。
ノーサイドまでの後半残り時間、しっかり走りきりたい。


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手放しの、喜び

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おかげさまで、年末まで続けることが出来ました!



さて、今回は、喜びが与えるもの、の話。

では、どうぞ。



筆者の長女は、よく言えば慎重、悪く言えば臆病な性格で自転車に乗るのもなかなか乗れなかった。

幼稚園の年長になり、まわりがどんどん乗れるようになっていて、家族も焦りプレッシャーをかけてくる。

かという本人は気ままなもので

だってこけたらいたいやん

と至極当たり前のことを言ってなかなか練習をしたがらない。


そうこうしているうちに冬が来て、春が来だす。

もう3月。

4月になれば小学生。


そんなときに広場で練習していると、ちょっとずつ頑張りだして、乗れそうな雰囲気が出て来た。


春休みに入り、小学生へのカウントダウンが始まる。

そうして、臆病な長女が自転車にやっとのれた。


筆者は文字通り、手放しで喜んだ。

そんときは、本当にもう久しぶりに。



苦労したことが出来るようになると、とびきりの笑顔が見える。







ほんと今は世知辛い世の中で、暗い話が蔓延っている。

だからこそ、手放しで喜べるようなことが来年は世の中にたくさん見つかって、とびきりの笑顔がいろんなところであふれて来ますように。


とびきりの笑顔は、ほんとそれだけで病気も治るんじゃないかっていうくらい、もらった人も元気になるものだから。

追伸
皆様、ジローの部屋にたくさんおいで下さいましてありがとうございました。
本年はこれにて終了し、また来年もしっかり書き綴ろうとおもいます。
こんなつぶやきにお付き合い下さいまして本当にありがとうございました。
また、来年もどうぞごひいきに。
                   ジロー


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記録よりも、記憶に

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さて、今回は、筆者の学生時代のアルバイトの話。

では、どうぞ。




筆者は学生時代、塾講師のアルバイトをしていた。


普段は塾長が英語、数学、理科を担当し、バイトの学生が国語と社会を担当するが、夏休みなどの長期休みでは、塾長が数学を担当し、他の教科は学生がもつ。
筆者は皆がやりたがらない国語担当だった。


塾は地域に根ざした小中各学年一クラスだけの塾だが、評判がよく、中学3年のクラスは毎年50人前後がひしめいていたように記憶している。


各講師でそれぞれの色があり、英語を担当する広島出身の剣道部主将は広島弁でやっていて味があり、社会を担当するアウトドアサークルのもみあげの長い人は話が面白く自分をルパンと呼ばせていた。


二人とも大学で同じクラス。
後に二人ともそれぞれの地元で教職に就いている。


筆者はけっこう淡々と授業をやっていて

国語は答えが問題に載っている
その見つけ方のコツを知ってるか、どうか

みたいなことを教えていた。



よく言えばマジメ、悪く言えば面白味のない授業だったんじゃないかと、今なら思う。



たまに、早く塾について他の講師の授業を聞くと、時々笑いがあって凄いなぁ、と感心していた。



記録よりも記憶に、という言葉があるのならば、間違いなく剣道部やルパンが記憶に残る。



筆者が出来たのは社会や国語で、え、そうなんや、という豆知識的なものを時々挟んで披露するくらいで、それが記憶の助けになれば、とやっていた。



そんな塾講師も、元々筆者は教育大学に行ったくせに、人との関わりにやや苦手意識があったので、それをなんとか克服しようと思って始めたのがきっかけだった。


最初は、小学生相手でも緊張するし、ましてやたくさんの中学生であればなおさらだ。


しかし、徐々になれてきて、子どもも慣れてくると私語がでる。
それを時々ピシャッとして、授業を四年間続けていった。


筆者は、教職には最終的に就かなかったが、塾の経験はずいぶんと人前で話す練習にはなって、おかげで教育実習でもガチガチにもならなかったし、人にポイントを伝える練習をずいぶんとすることができた。


そしてそれは社会人になっても、決して無駄にはならない貴重な経験だ。




社会人になって12年くらいが経ち、仕事でとある学校に出かけたことがあった。




名刺を交換して校長、教頭先生と話をする。


全然行ったことのない学校なのに、靴箱、教室、職員室など、妙に懐かしい。



そして、一人の担任の若い先生を紹介された。


私は、初めまして、と名刺を差し出して挨拶したところ、その若い男性の先生はキョトンとして名刺を受け取った。


筆者は仕事の説明をして、予定していた行程を行った。



帰りがけ、校長室に通されて話になる。

教育系の大学を出ていたおかげで子どもにも先生方のウケもよかった。




そこに名刺を渡した先の若い先生が入ってきた。





そして、こう言ってきた。





ジローさんは、〇〇ゼミナールの先生でしたよね?





筆者は久しぶりに聞いたバイト先の名前に、戸惑う。



彼は、バイト先の塾に通っていた生徒だった。



正直なんとなくでしか憶えてなかったけど、剣道部やルパンの話もでて、以前の時に戻ったかのような感覚だった。


先生のおかげで、けっこう国語が得意になったんですよ


たぶんお世辞だろうが、ちゃんと教科も憶えているし、第一筆者が行ってた大学に進み、こうして教師になっているので、本当に嬉しい再会になった。





過去が今にどのようにつながるのかは、その時になってみないとわからない。

ただ、一生懸命にやってたことは、時々自分を救ってくれたり、こうして嬉しい話につながったりするみたいだ。


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人形劇への、新たな潮流

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さて、今回は洋物の人形を手に入れた姉妹の、話。


では、どうぞ。




筆者の子どもは、小4と小2の姉妹と年少の弟の3人がいる。

先日のクリスマスによって、姉妹は新たな洋物の人形を手に入れた。

和物ー香山リカ
洋物ーバービー
小人ーレゴ

これらを順不同で所望するため、ポチッとされて毎年どれかが我が家に、新規加入されていく。

姉妹は早速新しい洋物で会話を始めた。

以前の会話はこれ↓
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始まったな。

筆者は晩御飯の用意を進めていた。

彼女らは、新規加入の洋物で人形劇を始めた。




あら、バービー、久しぶり。

あら、バービー、ほんとね。


どっちもバービーのため、ややこしい。


今日は私の家でお茶しない?

いいわね、行くわ。




そう言えばさ、あなたのお母さんってなんの仕事してるの?

病院よ。

そうなの?忙しそうね。

ほんとに。でも最近ママは悩んでてね。

どうしたの?

病院の先生にいじめられてたのよ。
仕事ちゃんとしてるのに。
ママはそれで仕事辞めようと思ってるみたいなの。



またシリアスな展開やな。



それでね、とうとうママは仕事辞めて警察官になったの!


おぉ、凄い展開。


そうなの、しんどかったわね。

やっぱり、やりたかった仕事らしいの。

それが一番ね。



パワハラからの転職…、そして人生相談。

人形劇にもワークライフバランスが必要、か。


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【電車のひと短編⑦】Googleさんに、聞いてみた

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さて、今回は、電車のひと短編シリーズです。
たまには自分のことを、ということで今回は筆者の話。

では、どうぞ。




筆者は基本的に電車通勤をしている。


筆者は基本的に立つ方だが、時間帯や電車によっては座ることもある。


いつからか、電車の座席は冬場座ると温かくなるようになって、ずいぶんと居心地がよくなった。

ただ、この冬場に限らず、座ると心地よい席が多いのは事実だ…。



目覚めたとき、ドアが

プシュー

っとなって開いた瞬間になる。


起きがけの頭を必死に回転させるが、どこかわからない。

そして、そこが自分の降りないといけない駅と分かったとき、無情にもまたドアは

プシュー

っといって閉まっていく。


加速していく電車。
遠ざかっていく駅。

猛烈な後悔がそれを追いかけてくる。


寝なければいいんだけど…。




気が付くと大幅に降りる駅を通り過ぎていたことがあった。

電車は兵庫県から大阪府、そして奈良県へ向かっていく。


プシュー

という音で目覚め、焦って降りると

「放出」と書いてハナテンと読む

方面に進んでいた。


反対ホームに来た電車に、とっさに飛び乗り、行き先を見る。

大阪方面最終電車

とテロップが流れていく…。

後悔は追いかけてくるんじゃなくて、もはや通り過ぎていた。



大阪駅でホームを出た。
そんなときに限って、持ち合わせがない。



スマホGoogleさんに聞いてみた。
家までの道。

約12キロ。
歩いて2時間50分。




プラス思考で考えよう。
歩いてということは、走れば半分で帰れるんか。



Googleさんは道なき道も含めてショートカットを示してくれる。

そうして走って帰った、革靴で。

当然ながら、半分なんかでは帰られなかった。

Googleさん、そんな元気じゃないんだよ。



このしんどい思いは教訓になった。
眠たくても終電間際の時は座ってはいけない。


しかし、人間は誘惑に弱い生き物だ。



この後2回、大阪駅に降り立った。


Googleさんに聞いてみた。
Googleさんは、やはり容赦ないタイムを示していた。


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拝啓、松坂大輔さま

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さて、今回は、いつもと違った手紙みたいな形式です。

では、どうぞ。



筆者は1980年生まれである。
この世代は、世代の代表に、プロ野球松坂大輔がいる。

彼は、超高校級の能力で、日本のプロ野球で抜群の成績を残し、メジャーリーグでも活躍した。

しかし、栄光はいつまでも続かない。

徐々に陰りが見えてきて、けがでシーズン通して投げられなくなったり、成績が悪化したりしていった。

彼がアメリカで投げてた頃は、日本人がどんどんアメリカに挑戦していった頃で、筆者は野球をやっていたわけでもないのに、妙にその活躍が嬉しかった。

調子を落としても、また復調の兆しが見えようものなら

まだまだやれるよな、頑張れよ

と、勝手な思いを託していた。


通常、プロに訪れる年齢との戦い。

もう20代のように、力だけではやってはいけない。


30代。
ちょうどそれは、社会に出ている同世代が、仕事の立場だったり、やり方だったりの変革を求められる、そういうタイミングの年齢。


そういう波が来ても

なんとか乗り切ってやるよ

っていう気持ちで、本当はいたい。


でも、周りからはいろいろと言われる。

出来るとか、出来ないとか。

自信が持てなくなるときも、当然ある。


同世代がある舞台の最前線で、おかれた現状に、持てるパフォーマンスで試行錯誤しながら必死にやっているのは、そんな自分たちの

もがいてる象徴

みたいな、ものだった。


だからこそ、彼がメジャーから日本に帰ってきて、ソフトバンクで苦悩している姿は辛かった。

だからこそ、中日に移って、久しぶりの勝利を収めたときは、よっしゃー、と電車の中でニュースを見て、小さくガッツポーズをしてしまった。

だからこそ、西武に戻って、今年は全く試合に投げられなくて、大丈夫か、とほんとに心配した。




このまま終わりか、どうなんだろうか。




周りは、給料泥棒だの、さっさと引退しろだの、騒がしい。

野球に関して言えば、もう同世代でプロ野球選手として残っているのは5人もいない。

先日同世代の藤川球児が引退したばかりだ。



40歳。
もう現役の限界なのか。
もう投げられないのだろうか。



そうしている中、松坂大輔は来季の単年契約を西武と結んだ。

彼は懸命にリハビリに励んでいる。
来春のマウンドに立つことをイメージして。

恵まれた環境だとか、過去の栄光にすがりすぎとか、また批判が渦巻く。


しかし、先日引退した同世代の藤川球児引退試合の最後のインタビューでこう言っていた。


「ライバル、松坂大輔、必ず投げる姿を見せて世の中の人を元気にしてください。あなたのそいういう姿が、いまの日本には必要です。僕があなたの一番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう」


筆者は野球をやっていたわけでも、知り合いでもなく、全くの赤の他人で、ただ同世代と勝手に言っているだけだ。

だけど、気持ちは藤川球児と同じ。
まだやってやる、という姿を応援したい。

そして、年齢や勝手な常識で、ひとくくりにしようとする奴らを見返してくれ

世代の代表であるアンタには、その力があると思うんだ。


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ブログアンテナ

足枷を、つくるもの

いらっしゃいませ。ご訪問ありがとうございます。

こんにちは、ジローです。

たくさんの星、ブクマやコメント、本当にありがとうございます!

おかげさまで、ぼちぼちとこのブログを続けられています。



さて、今回は、何かを始める際の、足枷、の話。

では、どうぞ。




結婚して子どもが出来てから、家のことと仕事のことを言い訳にするようにして、自分ための時間がなくなったと思っていた。

たぶん、それはそんなことはなくて、考え方ひとつで作れたはずなんだけど、どこか忙しいに酔っているというか、体よくそれのせいにしているというか、そんな感じだった。

だから、毎日がやらされている感というか、能動的でなく、言わば、やっつけ仕事的な感じで、日々をただ、こなしていた。


もともと、何かを書くことは好きだった。

だから、いつかリアルじゃない話を書いてみたい。

漠然とそういう思いがあって、でもそれは、今更なぁという思いに消されていた。

まとまった時間がいるんじゃないか、とその思いを後押ししていた。


このままでいいのだろうか。
煮え切らない思いだけが広がっていく。


そうしていると、はてなの存在を知った。

試しに何か話が書けるかやってみようか、と。
題材はこれまでのリアルな経験がたくさんある。

そうしたら、ここにはたくさんの反応をくれる人達にあふれていた。


Mr.Childrenの「花」という歌に

最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや

という歌詞がある。


ブログを始めて、気が付いたら3か月をとうに過ぎていた。
おかげさまで、ちゃんと続いている。

あれが出来ない、これが出来ない、という足枷を作っていたのは自分だった。


人生には、ほんの少しの勇気が大切だ。


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ニュウボウっていうんやろ、ここ

いらっしゃいませ。ご訪問ありがとうございます。

こんにちは、ジローです。

たくさんの星、ブクマやコメント、本当にありがとうございます!

おかげさまで、ぼちぼちとこのブログを続けられています。


さて、今回は、とうとう来たか、この時が、という話。

では、どうぞ。



筆者の長女は小4である。
小2の次女と彼女らは一緒にお風呂に入ることがほとんどで、まだ筆者は拒否られてはいない。

しかし、そのうち来るんだろうし、そうしないといけないのかも知れない。


世の中の男親はどう思ってるんだろうか。


ただ、子どもをお風呂に入れるときは、当然そんなこと考えてなくて、

ちゃんとキレイに洗って、温もらせて、風邪引かないように着替えさせてを、さっさとやる

ことしか考えていなかった。


仕事があるので、風呂当番は土日限定で、その時にいろいろと話がある。

たいていは、こんなんあってとか、あんなんあってな、というたわいもない話で、最近は買ってもらったアツモリの話が多い。

しかし、先日は想定を超えてきた。


今日学校でならってんけどな

ふんふん



ここ、ニュウボウっていうんやろ?



は、ヌーボー?学校でお菓子教えてくれんの?



ちゃうって、ここ、おっぱいのこと




うん?


え?


は?






キター、性教育か!?




そういや、今日やたら


今な、思春期やねん


って、いうてたわ。



思春期になったら自分から思春期言うんか、ぐらいにしか考えてなかった。
変わったことを言うな、と。

長女はラッシュをかけてきた。

筆者はノーガードだった。



思春期になったらな、女の子は身体が丸くなってくるんやろ?


お、おう。



お腹の中で赤ちゃんが着地するためのベッドつくるんやろ?


お、おう。



それが毎月作り直すんやなぁ


お、おう。



毛も生えてくるし、嫌やわ


お、おう。




父はたじたじになった。
これがボクシングなら、もうダウンしかけだ。


そして、ようやく言えた言葉は

そやなー

だった。

我ながら、か細い声だった。




長女は伏線を張っていたのだ。


脳天気に、


思春期って自分で言うもんか?


なんて思ってる場合じゃなかった。


非常に筆者は困り、そして学校教育はしっかりと教えてくれていることに感謝した。


そして、さらにきたラッシュには、ようやく受け流すことが出来た。


パパはおっぱい四角やなぁ。
そやな、丸くないで。

お腹線入って割れてきたなぁ。

一応、筋トレやってるからな。

なんで男の人は四角なんやろなぁ


ケラケラと笑って、風呂場の性教育が終わった。

温かい風呂場だが、冷や汗をかいてしまった。



子どもはどんどん成長する、時に予想を超えたスピードで。